映画「ビリギャル」、インスタ友のスワキチPさんが観に行ってたのは知ってます。
ボクも観に行こうかと思ってるうち、上映終わっちゃいました。
で、昨日、地上波でやってたんで観ましたよ。
スマスマ最終回観てる人多かったかもだけど(^^;;
この映画、大作とか名作、話題作ではない、所謂、お手軽B級映画?
でも、ボクには、いろんな意味で、ググッと来ました。
- 合格可能性、ほぼゼロからの、一流大学合格!!
- ダメダメから、階段を駆け上がってくストーリー
ここから先は、ボク個人の一部照れ臭い、大半恥ずべきプライベートの恥部を晒すことになるんだけど、今の気持ちを記録しておくために、書いておきます。
1.については、ボクの体験とダブることがあるから...。
高3の秋、担任、母、生徒の3者面談ってのがありました。
一応、希望は理系大学進学。
担任は「受かる大学はない!」
担任の手元にあるのは、直前の模試の結果。
通える範囲で下から2番目の大学も「4%以下」
そりゃ、こういう言葉になるわな。
ビリギャルは、高2の夏からの所が、ボクの場合高3の秋(゚o゚;;
でも、状況はビリギャルほど酷くはない...と思う。
3年の担任との面接の時、クラスメートが盗み見たブラックリストには入ってたようだけど、進級できないとか卒業できないってほどでもない。
親も呼び出されてないし(私立に行ってた兄の時は、母はよく呼び出されてたらしいが)、聖徳太子や福沢諭吉も知ってたしwww
ただ、スタートが遅すぎるorz
3者面談に戻る。
Q「浪人してでも行きます」
担任「浪人しても、この高校から、理系の一流大学には行けない」
あんだとーーーー!?ψ(`∇´)ψ
この面接の時に、一流大学の名前は一切言ってない。
一流大学に行く気もなかったが、この担任の言葉は、ホント悔しかった
この【悔しい】って気持ち、すごく大事だと思う。
今、自転車で、大嫌いだった坂に挑んでるのも、子の権現での悔しさがあるから。
オリンピックなんか観てても、負けて悔し涙を流す姿に感動するボクです。
先日のチャリダーでも、2位になった選手が、「悔しくて次の日布団から出られなかった」って言ってたけど、こいつは強くなるわ!って思ったよ。
逆に、周りで同じ資格試験を落ちても落ちても毎年受けてるのがいたが(東大受験の山田雅人しかり)、チャレンジ精神を褒める前に、落ちても来年またやるさー的に平然としてた所が残念。何年も落ちるやつって、ダメでも来年って逃げ道作るんだよね。
で、ボクの話に戻るが、あの面談から
「っざけんな!クソババァ!絶対見返してやる!」って、勉強始めたのです。
現役時の受験では、4%以下を出した下から2番目の大学よりちょっと上の大学にはなんとか受かったけど、その程度では悔しさは晴れないよ。
で、宣言通り浪人生活。
結果は...
ビリギャルの受かったKO大学は受けてなく、目標のW大は落ちてしまったけど、十分見返せる大学には合格できたんじゃないかなとは思ってる。
この時の教訓は...
「悔しい」って気持ちを含めて、恨みつらみのエネルギーってのは、ものすごいものがある。
ってことと、恨みつらみだけの目標は、達成しても虚しいだけ。きっかけは恨みつらみでいいけど、最後はちゃんとしたモティベーションないと...
結局、その大学は途中でやめちゃったからね、ボクの場合(-_-;)
ビリギャルの内容が、ボクの40年近く前の体験と重なって、ググッと!
2.は...
ダメダメな(と思われてる)所から階段駆け上がってくような物語が好きです。
マイナー契約最低年棒でメジャー挑戦した野茂英雄、球が遅すぎて呆れかえされた高津臣吾、中国リーグに挑戦した福原愛。
まぁ、上にあげた例は、その実力を知らなかったのは行った先の連中だけだっただけのことだけど...
土曜の朝やってる、結果の残せない子供達が、元有名一流選手の指導の下、強くなってく「ライオンんのグータッチ」とか、好きだなぁ。
なんでも最初からそこそここなす、ってタイプでないボクは、スタート時点で大きく出遅れるってことが多かったです。
でも、スタートでもたついた場合、最後までスタートできず、か、どっかでグイーンと抜き去るって、両極端な気がする。
スタートでそこそここなせるようなことは、長い目で見ると、それほど伸びてかず、平々凡々で終わる気が...
サラリーマン時代(20年ちょい前)、上司から社外の研究会に参加する様言われた。
同業社5社に、大学の先生、コンサルの専門家Aさんで、ゴミ関係の現状調査みたいな。
全然畑違いで、右も左もわからず状態だったんだけど...
たまたま、自社が幹事会社で、色々取りまとめにゃいかん。
さらに、全5章を1章ずつ各社分担って話が、ボクが欠席してる会で、何故かウチが2章をやることに。
自分は何もしない上司が「うん」と言ってきちゃった。orz
さらにさらに、海外の現状とやらは、たまたま行った出張先で出来た薄〜〜いコネクション頼りにお手伝いしてたら、これも担当社が「うちには出来ない」と、うちがやることに...
なんで、そんな簡単に「出来ない」と放り出せるんだろう?年をとると、みんなこうなってしまうのか?と血管切れるくらい腹立たしかったけど、やりましたとも、無我夢中で。
で、まとめた資料を持ってAさんの所にに何度も相談に行きましたよ。
Aさんは、業界の未来を担ってると言われる期待の若手で(っても、芸能界やIT業界の若手と違って、結構高齢ですよ)、色々、基礎の基礎から教えていただきました。
たまたま、そんな役回りだったので、顔と名前は覚えてもらって、講習会の講師や、専門誌の技術投稿の話も、Aさんの紹介で依頼されることがポツポツと...、なんもわかってないのに( ̄O ̄;)
新しく出来た研究会で講師を務めた時のこと。
講習会にはずいぶん行ったけど(なんもわかってなかったからね)、知り合いが結構いたりする。向こうは講師でこちらは生徒って立場だけど...
勿論、こちらが一方的に知ってるだけの、毎回目にする講師の方もいる。
例えば、Mさん。
その時は、いつもとは逆の立場なんだけど、Mさん、一番前の席に陣取って、きつめの質問をしてくる。
冷や汗半端ないんっすけど...(;´д`)
講習会後の懇親会で、Mさん近寄ってくる。
「君のことは、知っとるよ」
意外! (゚o゚;;
色々な話をして、その後も何かと目をかけてくれる。
その研究会のMさんのワーキンググループに引き抜かれたりもした。
色々あってボクが自分の会社を辞めるって時も、送別会まで開いてくれた。
こうして、社外のAさんとMさんに引っ張られる形で、こんなボクでも、階段駆け上がれたと思う。
(運が良かった、ってのが1番の要因かな?)
あの頃が、ボクの全盛期だった、なんて懐かしむには早すぎるけど、
今の自分のこのザマはなんなんだ!
情けない。(T ^ T)
脱サラし、今の仕事を始め、極貧に耐え、なんとか食べられる様にはなった。
と、気を抜いたのがいけなかったのか?
今年は駆け上がり始めた階段を転げ落ち、今の所に移ってからの11年で2番目の業績の悪さ。
さらに、なんの対策もせず、ダラダラと。
最悪だ。
Mさんとは、退社後も年賀状のやり取りはしてたんだけど、先日届いた喪中葉書。
この12月、84歳で他界されたことを知った。
確かにそういう年齢だけど、ショック。
四十九日もまだだろうし、その辺うろうろしてボクを見つけたら
「なんや?ShimaQ君、なにやっとるんや?ShimaQ君らしくないぞー。」
って、例の関西弁で怒られちゃうな。
しっかりせにゃ!
階段、登らにゃ!駆け上がらにゃ!
ビリギャルを観て、昔を思い出し、色々考えてたら、昨夜はほとんど寝られなかったShimaQであった。
んじゃ (*´○`)/~~
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【ShimaQのこんなことの最新記事】
多かれ少なかれ似たような境遇が誰しもあるような気がします。
その時に『何、クソッ!』負けねぇ〜って思って立ち向かうか、いいやって、そこから逃げるかで、その後が変わると思います。
自分も、立ち向かう派ですが、行き過ぎてぶつかることもしばしば・・少し反省です(笑)
でも、幾つになってもその気持ちは持ち続けたいと思いますし、持たなければ駄目だとおもいます。
ShimaQさんも、ビリギャル見て思い出したのなら忘れずに進んで下さい。
自分も子の権現にリベンジしたくてローラー遣っている気がします
> 自分も、立ち向かう派ですが、行き過ぎてぶつかることもしばしば・・少し反省です(笑)
若い頃は結構、効率にこだわって「こんな無駄なことを」なんて思ったこともありましたが、振り返ってみると失敗しても、辛いだけでも、無駄だと思えることも、どんな経験も後々プラスになってる気がします。
一番ダメなのは、やらないことですよね。
逃げることは「やらない」という失敗をしてること。
動かなきゃダメですね(超反省)
> でも、幾つになってもその気持ちは持ち続けたいと思いますし、持たなければ駄目だとおもいます。
ホントにそうですね。
久々に、サミエル・ウルマンの『青春』の詩を読み返しました。(>_<)ヽ ナケルゼェ
http://urx.mobi/AEKl
> ShimaQさんも、ビリギャル見て思い出したのなら忘れずに進んで下さい。
ありがとうございます。頑張って進みます。
そして、一緒に子の権現にリベンジしましょう。p(^θ^)q