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2009年12月23日

いつもの、超常現象対決

 
 
 
今日、いつもの
 
「ビートたけし緊急報告 超常現象(秘)Xファイル」
 
をやっていた。
 
超常幻想肯定派と否定派が、相対して、

あ〜でもない、こ〜でもない、

と、言い争うアレ。


相変わらずです(爆)。
 



この問題は、以前にも書きました。





超常現象否定派は、

科学的な説明を求める。



彼らの言う「科学的」というのは「(西欧の)現代自然科学の手法で」と言うことになるんだが・・・・・




自然科学の世界では

「何時、誰が、何処で行っても、同じ条件下であれば
 同じ結果が得られる」


というのが大前提になっている。


(医学の世界では、既にこの条件は当てはまらなくなってるけど)



エネルギーの定義も、
「ある系が潜在的に持っている外部に対して行うことができる仕事量のことである。」
熱エネルギー、位置エネルギー、運動エネルギー、光エネルギー、電気エネルギーなど限られていて、その定義の当てはまらないものは、エネルギーとは呼ばないらしい。



自然科学の世界では確かにそうだけど、
「彼と話していると、いつもエネルギーをもらえる」
なんて時は、自然科学で言えばエネルギーの定義から外れるけど、
やっぱ、エネルギーだと思う。




今日の対決でも
(今日に限らず、いつものことだが)

お互いが、別々の定義、理論法則で言い合ってるんだから、
かみ合わないのは当たり前。


プロレスラーとボクサーが
各々、自分のルールでやり合って、
どっちが強い弱いと言ってるのと同じ。






「それでも地球は回っている」


「人間は猿から進化した生物である」

そう言った彼らは、もの凄い批判にあった。
批判どころか、毒まで飲まされ・・・・・・・・



あのころ、

「人間は神の作り出した創造物であり、神の化身である。

 したがって、神の宿るこの地球は、万物の中心である」

これが、それまでの科学(神学)の定義であり、公理であった。



前述の自然科学における前提条件や定義と同じように・・・・

(まぁ、ボクは、自然科学も、宗教のひとつだと思ってるけど)





そうやってみてると、ホント、大槻教授の発言は滑稽だ。

それにも増して、肯定派達の反論も、あまりに脆弱で・・・・・(爆)




結構、笑わせていただきながら、拝見いたしました。




途中で、否定派の人が、「共通の『定義』を決めて議論しよう」

と言っていたが、それさえも、おバカちゃんの変な反論で、なされず・・・






まぁ、痛感したのは、人間、ひとつの考え方に凝り固まってしまうと

冷静に考えれば、「変だ!」 ってわかるコトにも、盲目的になっちゃうんだね


って、再認識




ボクの仕事のお客さんでも
 「絶対******されている!」と思いこんで
何でもかんでも、それに結びつける人がいるし
(如何に荒唐無稽なこと言ってるか、小学生でもわかるくらい)




時には、そういうこと(ひとつの考えに取り憑かれる)も必要だけど、

時には、自分のやっていること、信じていることを

一歩下がって、冷めて見ることも必要だな、ってこと。





勿論、冷めてばかりでは人生つまんないし・・・・・


(ただ、人と話す時は、自分の考え方だけに凝り固まると、ロクなコトはないケドね。)






今年、ある件で

 「一方聞いて沙汰するな」

という教訓
を体感したけど、

それにも共通するのかな?




色々な考え方に触れ、色んな立場の声を聞き、

で、自分なりに、判断していくと言うこと。






ん、また堅い話病が出た?

んじゃ この辺で (^_-)☆ /~~~


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posted by ShimaQ at 23:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | ShimaQのこんなこと
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