震災後、初めての東北です。
今更ですが f(~_~;)
24日は早朝に出て、昼前に現場到着。

現場近くの歩道橋に、この高さまで津波が来たとの看板がありました。
(青い看板)

ふれあい商店街でお昼の弁当を買いました。
友人が入った店で聞いた話では、あまり地元の人は来てくれないとのこと。
友人が出て来るときに、中から「頑張りますっ」という店の人の声が聞こえてきた。
幸あれ! p(^0^)q
街並みは、震災があったことを知らない人が見たら、わからないであろう程に綺麗にはなっていました。
ボクの考える復興とは、物理的に(建物、工場、田畑など)町が元通り(震災前の通りという意味でなく、機能するという意味で)になること、仕事があること、そして経済的にも回っていくこと。
駅前には商店街もあり、皆さん、仕事はある程度あるのだろうか?
ただ、心配なのは、町に人影が少ないこと。店は開いていても、買う人がいなければ経済は回らない。
この辺、とても気になった。
後で考えてみると、駅周辺以外は空き地が多い。
かつての住宅地が、がれきは撤去したけど...まだ、帰ってこれてない
ということなのかな?
震災前の石巻を知らないので何とも言えないが、車で走っていて見かけるのは全国的な東京でも見かけるチェーン店ばかり。
地元企業に元気は戻ってきたのだろうか?
あれからもうすぐ4年。
TVでもあまり報道されなくなってしまった。
地元の人に、あの時のことを聞いたりすると、まだまだボクらの知らないことばかり....
今の石巻を見て、少し安心したり、心配したり....。
さて、2日目は少し早く仕事が終了したので、ここに行ってみた▽

反対側から見た方が、かっこいいんだけどね。

ドームの前に停まっている宣伝カーを見れば、一目瞭然。
石巻の街中にも、至る所にサイボーグ009、仮面ライダー、キカイダーなどのモニュメントがありました。

中は、予想以上に濃くて、かなり楽しめました。
(小学校の時、漫画家になりたいなんて、ちょびっと思ってたことを思い出しました)

ふと横を見ると?(なわけないだろっ!)♪誰だ?誰だ?誰だ〜〜〜?
バッタの改造人間がいたので、ボクもバッタになってみました!
(バッタになったのは帰ってきてフォトショップで、だけどね(^_^;)
この後、海岸線を女川の方に走ってみました。
高台に建設され、あの震災にも無傷だった女川原発も見てみたかったのですが、ちょっとドライブしたルートとは違ったのでパス。
石巻への帰路は山ルートで!
大きな川の横を走ったのですが、その川の名は「北上川」
ぉお!中学の時にファンだった岡崎友紀の歌にもある北上川!
まぁ、だからって、なんてことはないんですがね(^_^;
(歌詞も覚えてないし(..;)てか、前日の石ノ森蔓画館は旧北上川の中州だけどね)
最終日は、仕事主の挨拶回りにつきあった後、帰るのみ。
行ってみたかった、福島原発付近を走ってみました。
唯一走れる道は国道6号線のみ。
周囲は帰還困難地域。
国道沿いの店舗や民家には当然誰もいなくて、立ち入り禁止処置が執られている。
その光景を見ながら走っていると、気が重くなってきた。
当時で、建設から40年を経過した老原発。
いわゆる日本では初期の原発で、まだ日本の気候用にカスタマイズもされていない様な、今の再稼働に関する技術基準にはおそらくとうてい及ばない様なオンボロ原発をそのまま使い続けた結果がこれだ。
震災時点で動いていること自体が、安全無視であった福島原発。
現状では原発自体は条件付で肯定しているボクだけど、あの福島原発はいただけない。
いわば車検の通らない超低年式のオンボロ車。
やはり、ありもしない安全神話に諸々麻痺しちゃってたんだろうなぁ。
最近の安全技術の詰め込まれた車に慣れきってしまっている感覚で、40年前のやっとこ走る車(本来走らせるべきでない)を乗り回してたってことだ。
原発近くの田畑に並べられた、袋詰めされた除染土を見ていると、胸が詰まる。
3月1日には、原発付近の常磐自動車道も全面開通するとのこと。
少しでも、東北の経済復興が早まることを心より祈る。
大変中身の濃い、3日間の出張でした。
我が家に戻り、お留守番の猫たちと戯れ、日常に戻っていくShimaQであった
んじゃ (^_-)☆ /~~~
▽ポチッとしていただければ嬉しいです(*^_^*)


