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2009年07月14日

とある、ひとつの「小ラッキーのつかみ方」

 
 
 
 
今日は、チト長いです。






最近、小ラッキーが増えた気がする。









「運気を上げる方法」というのはたくさんある。




風水!



ポジティブシンキング。



良くないことが起きたときに、「ツイテル!」と声に出す。

苦しいときに「楽しい!!」と声に出す




願い事を紙に書く



朝起きたときと、夜寝るときに、願い事を声に出して言う。




起き。



トイレ掃除


etc...etc...









そんな中に、加えたいのが

ゆとり








時間的にも、精神的にもゆとりを持つ。







誰です? そこでッコケてるのは?


ShimaQ、大まじめです。







誰しも、時間的に追いまくられてたり、精神的に追い詰められると、身の回りにある、ラッキーに気がつかなくなります。

「自分は、なんて運がついてないんだ」

そう、思い始めたら、運からドンドン見放されていきます。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




頭のいい、あなた


「それって、運が良くなったとか悪くなったという話しじゃなくて、同じ状況・結果でも運が良く思ったり、悪いと思ったりの違いだけ何じゃないの?」
って、思いました??






仰るとおり!









・・・・・・・かもしれません。






でも、それだけではなさそうです。









だって、「ゆとり」を持って過ごしたこの3ヶ月ほど....

確かに運がいいのです。



数字として、売り上げが伸びてるんです。

欲しいモノが、予想外の安値で手に入ってるんです。

以前から思い描いていたことが、実現に向け急速に具体化してきたんです。




どれも、まさに向こうからやって来たと言う感覚です。









今年の初めから4月くらいまで

ボクの心には、全くゆとりというものがありませんでした。

ある知人のやった不始末の尻ぬぐいを、自分ひとりに押し付けられ、
「なんで、こんな事、ボクがひとりでやらなきゃ行けないんだ!?」










ひとり藻掻いていたときに、ある人が協力してくれました。


具体的に彼が、ボクの仕事の何%をやってくれるかというと・・・・・・・・ほんの少しです。



でも、ボクの苦労をわかってくれ、

「何か手伝えることがあったら言って!

決して、ひとりじゃないから




それまで背負っていた、重〜〜〜〜〜〜〜いものを降ろさせてくれました。

ホントに、心が軽くなりました。







それまで、ひとりで藻掻き苦しんでいた自分にとってこの言葉
「決してひとりじゃないから」
がどれだけ、「ゆとり」を持たせてくれたか






その頃、大好きなTV番組「アンビリーバボー」
大会社のエリートサラリーマンが、会社を辞め、恵まれない国の小学校に“本”を寄付すると言うボランティア事業を始めた物語をやってました。


会社を辞めた彼に、世間は冷たかった。

ひとり苦しむ若者に、それまで冷たかった(若者にはそう思えた)父が電話でこう伝える。
「立派な会社に勤め、活躍しているおまえは父さんの自慢だった。
 でも、今のおまえは、それ以上に俺たちの誇りだ。
 父さんが付いてる。
 決してひとりじゃない、それを忘れないで欲しい


その言葉に、若者は勇気づけられ、事業に邁進し、成功するのだった。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




たったひとりで・・・・

誰も相手にしてくれない・・・・・

自分のやっていることが正しいのかすらわからない・・・・・・・




これは、本当にいものです。





ボクは、今の事業を始めた頃、たったひとりでした。

ひとりぽっちでした。


同時期に始めた“同期生”も、早々に退散していきました。


年収が、サラリーマン時代の月収にも満たない時もあり、アルバイトでなんとか食いつないでた時期も長かったです。




このまま自分はどうなっちゃうんだろ?


一生、こんなその日暮らしのバイト生活で終わってしまうんだろうか?

自暴自棄気味になっていたときもありました。

公園やビルの谷間のホームレスを見ては、他人事に思えず、したこともありました。





そんな時、同業者の仲間が出来ました。



仲間...


同じ苦労を知っている仲間

理解し合える仲間



それから、なんとか食べていけるだけの仕事が入り始めました(サラリーマン時代には到底及びませんが)。








やはり、ひとりじゃない

わかってくれる人がいる




それだけで、心に“ゆとり”ができ、

運も向いてきます。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




最近、こういう考え方も出来るようになりました。


自分をわかって貰い“ゆとり”が出来るためには
わかってくれる人が必要なわけです。



そう、人の苦しみがわかる人




アルバイトをしたことのない店長にバイトの気持ちはわかりません(かつてのバイト先の店長)


人に使われたことのない人は、使われる身のことなんて考えません(織田信長型?:誰のことだか想像できる人もいるはず)


あるセレブモデルが、「(同じセレブの)○○ちゃんと、今度生まれてくるなら、貧乏でもいいよね、って話ししたよ」なんて言ってましたが、貧乏を経験したことのない人間が、そんなこと言っても、全く説得力ありません。

(亡き母は、「貧乏と金持ちと両方経験したけど、やっぱお金持ちの方が良いよ」って言ってました。
 説得力あったなぁ、母は両極端味わってますから・・・)


もちろん、同じ境遇になってなければ、その人の気持ちはわからない!なんて言いません。

心優しい人は、いつも人の気持ちに敏感な人は、わかってあげることが出来る人もいます。

でも、フツーのヒトには、なかなか難しいことです。

そう、所詮、想像の範疇です。




尤も逆に、あんなに自分が苦労したのに、それを忘れて、他人に対して、冷たい人もいますが(豊臣秀吉型)。





だから、今、あるいは過去に苦労してる人は、他人の苦労をわかるという点に於いては、苦労してない人と比べて、圧倒的に有利だと思うんです。



それだけ、人に“ゆとり”を与えることが出来るわけです。


そう考えると、“苦労”も悪くない。



今、自分が背負わされている、理不尽とも思える“苦労”も、後々、別の所で、別の形で何倍にもなって返ってくる。


だから、今、色々なことで苦労して、「やってらんね〜〜〜ぇ」状態の人でも、
今、他人事〜〜ってのほほんとしてる奴らに比べたら、遥かになはずだ。



後は、心に”ゆとり”が生まれたら、

ドッピュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンと飛躍できること、間違い無しっ!!!









過去の“苦労”が(勿論それだけじゃないけど)が今の自分の血となり肉となってる!


と最近になって思い始めてるわけです(もっと早く気づくべきだった)。


それは、精神的なことだけでなく、技術的なこと、仕事のことなども・・・・・・





実際、今ボクが、こうやってこんな文を書けるのも、20年前、現場監督上がりで文なんて全く書いたことがなかったボクに
「論旨がわからない」
「なってない」
「文が幼稚だ」
とののしられ、何度も何度も出張報告書を書き直させられた(当時はワープロなんてありゃしません)経験があるからです。
当時は、「ぶっ殺したろか、この上司」なんて、思ってましたがね(笑)


そう思うと、益々“ゆとり”が生まれる。





そんなこんなで、運気が上がってきてます。


まぁ、心に“ゆとり”があるから、小さな事でのラッキー!って思えるってのはあるけど、それを差し引いても、ツイテルッ



いつまで、続くかな、この小ラッキー現象


それも、ボクの心の“ゆとり”次第?

んじゃ (^_-)☆ /~~~


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posted by ShimaQ at 20:39 | Comment(6) | TrackBack(0) | ShimaQのこんなこと