本を読む。
でも、あまり、小説は読まない。
小学校の時は、図書室のSF小説を読み漁ったころもあった。
中学高校では、少々、武者小路実篤とか夏目漱石とか・・・・・・
社会人になってからは、とんと・・・・・
「1Q84」
「あいきゅう・はちじゅうよん」かと思ったら、「いちきゅうはちよん」らしい・・・・
たいそう評判らしい。
村上春樹の小説。
昨日、試験の帰りに、本屋に寄ってみた。
ちなみに、昨日の試験、自己採点で86点(60点で合格)、1次は突破間違いない。
案の定、1Q84、売り切れだ。
で、店内をブラブラと・・・・
入り口近くに山積みされた薄い文庫本
「思考の整理学」
帯に
「東大・京大で1番読まれた本」と書いてある。

なにやら、科学っぽいエッセイの匂い
さきほど、小説は読まないと書いたが、ボクはどんな本を読んできたかというと・・・
30才過ぎから
「自己啓発」「成功本」などのビジネス書。インドや中国の「東洋医学」関連や、「精神世界」関連本
宇宙や動物生態学・進化学などの科学エッセイ・・・・・
最近では、科学エッセイがおもしろい。
(“エッセイ”というところが、小難しくなくて良い)
で、この本。
自然科学とは、ちょっと離れているが、結構おもしろい。
さわりだけ・・・・・
ところで、学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習ということばこそあるけれども、独力で知識を得るのではたい。いわぱグラィダーのようなものだ。自力では飛び上がることはできない。
グライダーと飛行機は遠くからみると、似ている。空を飛ぶのも同じで、グライダーが音もなく優雅に滑空しているさまは、飛行機よりもむしろ美しいくらいだ。ただ、悲しいかな、自力で飛ぶことができない。〜 中略 〜
優等生はグライダーとして優秀なのである。
飛べそうではないか、ひとつ飛んでみろ、などと言われても困る。指導するものがあってのグラィダーである。
人問には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人問の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぽうとすれぱ、どんな事故になるかわからない。
しかし、現実には、グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という"優秀な"人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も"翔べる"という評価を受けているのである。
おぉ、日本の教育の問題点がココにある。
小さい頃から、人と違うことを考えるのが好きだったボクは、学校での勉強は本当に窮屈なモノだった。
一つの法則で、一つの答えを導き出す数学などは好きだったが、感じ方まで一つに決めてしまうかのような国語などはどうも・・・
それと、タダ覚えるだけの歴史とか・・・・・
(尤も、最近のテレビ番組で、覚えるだけでない歴史のおもしろさに目覚めたが・・・)
で、最近挑戦している「資格試験の勉強」
これなんぞ、グライダーにも及ばない、ただの合格の手法の訓練であって、勉学などとは及びもしない作業だ。
まぁ、致し方ない。勉強ぢゃなくて、手段だからね、仕事の。
この章の最後の文章に、ハッとした
グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力のもち主があらわれたからである。自分で翔べない人問はコンピューターに仕事をうばわれる。
実は、これ。
パソコンが出てきてからと言うモノ、いつも考えていたことで、近いウチにこのブログで書こうと思っていたことである。
この著書、1983年の執筆。
帯にも書いてあるが
『もっと若いときに読んでいれば・・・・・』
今日も、この先を読もう。
んじゃ “〆(°_°*) /~~~
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